4月20日の事でした。泉州の会社からリンクチェーンのお問い合わせがあったのですが、納期が非常にタイトとの事。
この日は金曜日の午後だったのですが、翌週の月曜日もしくは火曜日の午前中までにどうにかならないかとの事で、辛うじてお出し出来るユニクロメッキのリンクチェーンを準備させて頂きました。
本来であれば十分にガラ磨きをかけたチェーンを準備するのですが、納期が短すぎた為、工場内での処理が出来ないままでのメッキ作業となりました。
結果、私共にとってはどうにも不本意な商品となってしまいました。溶接面のザラつきが残ったままでのメッキ鎖がが戻ってきたのです。
仕方なく、ザラつきについての注意書きを添えて発送致しました。
この鎖、泉州の会社が納期を急いでいたのには理由があったのです。
じつは、4月25日から大阪府泉南郡岬町淡輪(おおさかふ せんなんぐん みさきちょう たんのわ)にある遊園地<みさき公園>で資料館がオープンする事になっており、そこで使うための鎖が必要だったからなのです。
資料館の名前は<メモリアル資料館>。みさき公園内に併設された動物園の“ゾウ舎”を改装して作られました。
元々このゾウ舎ではみさき公園が開園した1957年から2頭のメスのインド象、ミドリと、イズミが飼育されていました。
2頭は、踏み台の上に乗る芸を披露し、人気者だったのですが、2004年の5月にイズミが、続いて12月にミドリが相次いで亡くなってしまったのです。
(推定年齢は共に50歳、人間なら70歳位)
その後、みさき公園では後継となるゾウを探したらしいのですが、インド象はワシントン条約で輸入が厳しく制限され、現在では繁殖可能な施設を整備しなければ新規の購入が許可されない為、断念したそうです。(天王寺動物園がゾウ舎を立派なモノに移築開設した真意が分かりました)
そこで、開園50周年を迎える4月にあわせて、空いたままのゾウ舎の有効利用し、イズミが暮らしたゾウ舎内にはイズミの骨格標本を展示し、ミドリが暮らしたゾウ舎内には2頭が子ゾウだった頃からの写真やその他の園内で飼育してきた動物達の写真、みさき公園の50年間の歴史を辿る資料写真を展示する<メモリアル資料館>として生まれ変わらせたのです。
早速、弟の直紀一家にゴールデンウィーク前半の連休にみさき公園に行ってもらい、実際に<メモリアル資料館>を観て来てもらいました。
この遊園地は大阪府内では唯一イルカのショーが見られる施設が併設されており、多くのお客様で賑わっていたそうです。
ゾウ舎内の柵などはそのままにした状態で、パネル展示や骨格標本が展示されていました。
弊社がお納めしたリンクチェーンは、ゾウの骨格標本が展示されている柵に取り付けてありました。
こんなに思い出の詰まった場所に使って頂け、嬉しい限りです。(時間の都合で、もっとクオリティーが高い鎖をお納め出来なかった悔しさも再度実感しました。)
ゾウが遊んでいた運動場には、ゾウの模型と共に、子供向けの遊戯施設が設置され、青空の下、明るい歓声が響いていました。
みさき公園の50周年記念事業となった<メモリアル資料館>の開設、成功だったと思います。