現在、私を含め兄弟3人が鎖工場である“柳瀬製作所”に従事していますが、このうち、工場で育った経験を持つのは私だけです。
私が生まれた頃は、今も現在の工場の前に残る貸工場で鎖の熔接業を営んでおりました。
工場の作業スペースの隣には、畳の部屋が1つに、トイレと小さなお風呂場、そして小さな台所という構成の小さな居住スペースがあり、当時はここで暮らしていました。
ですから、私にとっては工場の機械の音が半分<子守唄>になっていたようです。
実際にこの場所で私が暮らした期間は2年半ほどらしいのですが、今でも機械の音を聞くと心のどこかがホッとしている自分に気付きます。
逆に機械の音が全くしない休みの日などに出て来たときは、ラジオをつけていても、工場の雰囲気のどこかに空虚感を感じてしまいます。
つい数年前まで、ふとした瞬間に、機械の出すガチャガチャ言う音が、何か話をしているように聞こえたものでした。
最近ではそんな風に聞こえなくなったので、<素直な心が失われてしまったのか?>と、ちょっとショックを受けていたのですが、機械担当の弟(直紀)曰く、「鎖の精度UPの為、機械のガタつきを極力無くしたから機械の音に変化が無くなっただけ」と、有り難い様な、でも、冷静な(と言うか、何だか冷めた)コメントが帰ってきました。
当然、町工場の子供ですから、兄弟揃って小学生の頃から、土曜日、日曜日の午後からや、学校がお休みになる時期には、工場の仕事のお手伝いに来ておりました。
まあ、小さな子供の出来る仕事は限られていますし、長続きしにくいですから、半分は工場の周りに広がる田園風景の中で遊ぶのが仕事のようなものでした。
その頃は、小学唱歌に出てくるような小鮒の泳ぐ小川や、メダカの泳ぐ池、田んぼにはザリガニやカエル、草むらにはたくさんの虫達、と言った具合で、虫取り網や釣り糸程度のお金しか掛からない遊び場が一杯でした。
おかげで兄弟揃って動物好きに育ってしまいました。
今も変わらず田舎ではありますが、宅地化と遊水池公園整備計画で小川や池の面影は全く失われてしまいました。
生き物も殆どいない環境です。
そのまま残していれば、自分達の子供にも同じ体験をさせてやれたでしょうし、それ以上に地元の観光資源として十分活用出来たでしょうに、とても残念な事です。